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<年表>
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1381 |
永徳元 辛西 |
僧 了善に依り吉原宿今井村 |
寛延3年 本堂建立勧進記にあり |
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寛永 |
大火災により堂宇を失う |
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1639 |
寛永16 |
元吉原宿と共に津波で壊滅 |
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1648 |
慶安2年10月17日 |
家光公より 寺領 十石五斗 |
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1671 |
満治3 |
堂宇再興 |
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1680 |
延宝8年8月6日 |
大津波で満治に再興セル堂宇失う |
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1682 |
天和2年 |
現中央町3丁目(西仲町)に宿場と共に |
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1750 |
寛延3年8月4日 |
十一世 成誉徹同上人入院(入山) |
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「本堂建立勧進記」 |
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1753 |
宝暦3年8月28日 |
上棟 |
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1758 |
宝暦8年6月1日 |
富士川入水人馬六月朔日記 |
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殿御入部人足四十人馬5疋死す |
過去帳2に記載 |
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1823 |
文政6年 |
本堂再建 地形一尺三寸上げ 1月〜7月 |
過去帳3 |
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10月5日〜10日 |
入佛供養 |
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安政 |
安政の地震により堂宇倒 |
過去帳4に記録あり |
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1856 |
安政3年 |
本堂 再建 |
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1866 |
慶応2年 |
堂宇整備完了 |
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1871 |
明治4年1月4日 |
境内地四万弐十九坪依成上地トナル |
過去帳4 |
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二十三世 観譽負旭記* |
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1904 |
明治36年1月 |
二十六世 立誉上人 富田生道 住職拝命 |
先々代住職 |
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1917 |
大正6年11月11日 |
再建落成入佛供養ノ式典 |
過去帳6 |
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1923 |
大正12年9月1日 |
関東大震災 被災 |
過去帳6に記載あり |
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1945 |
昭和20年 |
東京からの疎開児童受け入れ |
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1962 |
昭和37年3月31日 |
二十七世 勝誉上人 富田安道 住職拝命 |
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1970 |
昭和45年 |
位牌堂建立 |
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1982 |
昭和57年4月7日 |
二十八世 信誉上人 富田生久 晋山式 |
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1993 |
平成5年11月3日 |
本堂・山門改修(H4〜)完了 落慶法要 |
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1998 |
平成10年11月3日 |
客殿・庫裡・稲荷堂建設・境内整備 |
寛延3年 本堂建立勧進記にあり |
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2001 |
平成13年 |
合葬墓 六角堂 建立 |
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名称:浄土宗
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宗祖:法然上人(源空)1133〜1212
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| 開宗:承安5年(1175) |
| 本尊:阿弥陀仏(阿弥陀如来) |
| 教え:阿弥陀仏の平等のお慈悲を信じ、「南無阿弥陀仏」とみ名を称えて、人格を高め、 社会のためにつくし、明るい安らかな毎日を送り、お浄土に生まれることを願う信仰です。 |
| お経:お釈迦さまがお説きになった『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』の三部経を よりどころとします。 |
| <ご本堂> | ||
| ご本尊 阿弥陀如来坐像(印相 上品下生) | ||
| 脇侍仏 (向かって右) 観音菩薩立像 阿弥陀如来の慈悲をあらわす | ||
| (向かって左) 勢至菩薩立像 阿弥陀如来の智慧をあらわす |
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![]() 勢至菩薩立像 |
![]() 阿弥陀如来坐像 |
![]() 観音菩薩立像 |
| 四天王 持国天 増長天 広目天 多門天 (昭和61年) | |
| 他 善導大師立像 法然上人立像 地蔵菩薩立像 | |
| 釈迦立像菩薩(平等院雲中供養菩薩 模刻 昭和63年) |
| <お位牌堂> |
![]() 法然上人立像 |
| 阿弥陀如来立像 | |
| 法然上人坐像 | |
| 善導大師坐像 | |
![]() 阿弥陀如来立像 |
| (平成10年の工事の際に 新しいお堂となり本堂裏手に移築) | ||
| むかし、大運寺のお坊さんの枕もとへ、毎晩のようにあらわれる一匹の狐がおりました。 そして両手をついて「もしもし、和尚さま、起きてください。」といって、お坊さんを起こしては、 「わたしを、お稲荷さんに祀ってください。」といいます。 和尚さんは「いったいおまえは、どこからきたのか。」と聞きますと、「私は、京都の伏見の稲荷の 使いです。」「それで、どういうわけでここまで来たのか。」「はい、伏見のお稲荷さんがいうには、 東国に流行病がはやって、子供が育たなくて困っているところがある。おまえはそこへいって、 子供を守ってやりなさいということでしたので、はるばるここまで来てみると、吉原に流行病が はやっているので、ここに決めました。」と狐がいうのを聞いた和尚さんは、「なるほど、それはよい 心がけだが、伏見稲荷の使いだという証拠があるのか。昔から狐は人間をだますのが上手だからな。」 といいました。狐が、その証拠はこれですといって、和尚さんに差し出したのは金の火箸でした。 さっそく京都の伏見稲荷の神主へ問い合わせてみると、たしかに金の火箸が一ぜんなくなっているとの ことでした。そこで、和尚さんは、境内へほこらをつくって、子育稲荷大明神として祀りました。 その後、吉原には流行病で子供が死ぬことがなく、病気の子供を持った親が、このお稲荷さんへ おまいりすると、たちまち病気がなおったということです。(鈴木富男著「富士市の伝説と昔話」より) (金の火箸ですが、金色の火箸が一本ございます。) |
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![]() 子育て稲荷 |
![]() 金の火箸
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